昨今、人権や報道の自由、それに伴う権利や義務ということについて議論されることが多くなったが、一つ確認しておかなければならない重要なことがある。
それは日本人が理解している「法」を巡る思想である。言葉にすると難しいが、要は、人権とはなにか平等とはなにか云々の話である。大部分の日本人はこのような言葉の意味を曲解していることを理解していない。
人権や平等、権利や義務という言葉は、これらの言葉をどのように定義するかでさえ世界的には大きな論争を繰り広げているというのに…。
だから、このような抽象的な言葉に基づいて議論する際、立場がははっきりしなくなるのだ。
ここでは敢えて長くなるが、その思想対立を紹介したい。
以下の文章は副島隆彦氏の世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち~第4章「法」をめぐる思想闘争と政治対立の構図を私なりにまとめ、少し加筆したものであることをはじめにお断りしておく。(以下引用部は通常の白い文字を、私が加筆し意見にしたものは青い文字で示すことにする)
①自然法(ナチュラル・ロー)
アリストテレスに遡る大思想で、「人間社会には、それを成立させて、社会を社会、人間を人間とたらしめている自然のきまり、おきてがある。」というところから始まり、この自然法は必ずあるのだと、西欧政治思想の中ではずっと考えられてきた。
さらに中世では「自然法を定めるのは、やはり神である」とトマス・アクィナスが説明し直した。
その後、エドマンド・バークがこの流れを受け、「この世に在るもの、在るがままにあるもの、それらを全てを認める。」と主張した。
詳しく言えば、この世の中の秩序を成り立たせているものを「永遠の相の下における」「自然秩序そのもの」とし認めるということであり、これらは決して目に見えず、人間という愚かな生き物の、その人智を超えて、永遠のものであり、捉え難いものであるとする。
彼はその著書「フランス革命の省察」において、フランス革命を激しく非難した。それは人間の自由の解放でもなんでもなく、ただの民衆暴動であり、国王や貴族たちを大量に断頭台に送った巨大な秩序崩壊、文明破壊に過ぎないと断じたのである。
②自然権(ナチュラル・ライツ)
自然権をはじめて主張したのはジョン・ロックで、彼も自然の掟を認めている。しかし、彼はそれよりも「自然権」(ナチュラル・ライツ)を「人間一人一人の個人に生まれながらの固有の権利として”天”あるいは”神の摂理”から、ナチュラル・ライツを与えられているのであり、これは何人も奪うことができない生得の諸権利である」としてこの「自然権」の方を「自然法」よりも重視した。
ロックの思想はアメリカ独立宣言やフランス人権宣言、ひいては日本国憲法典や国際連合の「世界人権宣言」などを作りるに至っている。そして、このロックの「自然権」から始まった、「憲法が定める基本的人権」をまるで「自明の、実在の権利としての、国家に対する請求権だ」と考えるに至り、現在世界の多くの人々がこの考えを持っている。
しかし、ロックのいう「自然権」においては憲法典は「生命・身体・及び財産所有の国家からの自由・独立・不可侵」だけを保障宣言しており、「憲法典は全ての人間の社会福祉まで保障している」とは一言も言っていない。
日本国憲法第二十五条の「生存権、国の生存権保障義務」までロックの思想によると保障しているわけではない。このことこそが、ロックの思想と現代日本のリベラルな思想(ヒューマンライツ)が大きく異なり、民主主義の意味を曲解している所以である。
この①ナチュラル・ローと②ナチュラル・ライツが西欧政治思想における一つの争点であり、我々が論ずる場合のリベラルな思想とは異なるということをまず認識しなければならない。
さらに言えば、①ナチュラル・ロー②ナチュラル・ライツ③リベラルな思想(ヒューマンライツ)は全て①のナチュラル・ローという存在を認めるものの、③ヒューマンライツ、特に日本のリベラルな思想は戦後の人権尊重・平等思想と相まって②ナチュラルライツを拡大解釈し曲解していることを指摘しておく。
②ナチュラル・ライツの現実的官僚的保守派は彼らが握り締めている現実の政治権力を維持するために表立って否定しにくい人権という言葉を巧みに利用し、③ヒューマンライツをうまく取り込む。
この結果、ばらまき福祉と各種援助と、その結果として税金を取れるだけ取ろうという役人根性丸出しの行動法則を行なう。これが利権大連合を形成するのである。
だから、いつまでたっても、天下りは減らないし、税金が無駄に使われるシステムの変化が起きないのである。このような理解に乏しいため、全て国が悪い、官僚が悪いという議論に終始し、建設的で実効性のある改革案がでてこないのだということだけは明確に指摘しておきたい。
日本では、①ナチュラル・ローという政治思想そのものが、ごく一部の政治学者だけに共有されてきた思想で、一般人にはほとんど知られないまま現在に至るだけでなく、この②ナチュラル・ライツと③ヒューマンライツが明確に区別・認識されていない。
私たちの憲法が規定する基本的人権の内容そのものが、近代国家成立の過程で争われた法という概念の基本的枠組みと異なるものだという理解が乏しい。
つまり、私たち日本人が持つ法律概念には①ナチュラル・ローという存在は意識されず、②ロックの主張する自然権すなわち、ナチュラル・ライツを拡大解釈した③リベラルな思想(ヒューマンライツ)として共有、曲解されているのである。
この大いなる西欧の政治思想との格差を私たちは痛感、認識すべきではないだろうか。
さらに詳しいアメリカの政治思想論争については”好奇心は止まらない”番外編・アメリカの法をめぐる政治思想をご覧ください。最初の部分は同じですが、後半異なります。
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