これって本当?

 来年あたりには法人設立をしようと思っているので、ちょこちょこそのための届出までの仕組みやら税法を調べています。
 合資会社だと意外に安くできるんですなぁ。登録免許税の6万円だけ。定款や出資金の認証も必要ないので、手続きは煩雑ではないようです。

 ところで、ヤフーの税金のところに
 

収益事業であっても、次のような場合には課税されないことになっています。
・ 事業従事者の50%以上を年齢65歳以上の者が占め、その人たちの生活の保護に寄与していること。

 条文が書いていないし、調べてみたけどみつからないので、未だなんとも言えず。
 もしこれが適法ならば、父を有限責任社員に、私が無限責任社員になって、合資会社を設立したらその会社の利益には課税されないということになりますなぁ。
 母が誰かもそんなことを言っていたといっていたし、たぶんそうなんだろうけど、条文が見つからない(笑)

 後記。書いた直後になんですが、これは公益法人が収益事業を営む場合を指している場合ですなぁ。”公益法人が収益事業を営む場合であって、事業従事者の50%以上を65歳以上の者が占め、その人たちの生活の保護に寄与している場合には、課税されない”なら非常に素直に解釈できますね。
 読み手の読解力の乏しさか、それとも書いた人の文章の書き方の問題なのか、それは曖昧なままにしておきましょう(爆)

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シラバス

 店の片づけをしていたら研究会のシラバスがでてきました(謎)。不真面目だった私は、ろくに検討もせず遺伝情報を扱うゼミを選んでしまいました。

 10年近くたってこの研究会シラバスを読んでみて、これもあれも面白そうだなと感じるゼミがいくつもあって、今更ながら勉強するには非常に環境の整ったところだと痛感しました。

 一つの学部で、これだけたくさんの種類のゼミ(政策や金融、思想、歴史、自然・人工言語等々)を選択できる学部はないでしょう。逆に今、大学に入ったら迷ってしまいそうです。

 確かに欧米の学部、とくに文系の学部は私の通っていたようなスタイルのところが多いようです。すなわち、日本の他の大学の学部自体が細分化されすぎていて、逆に複数の専門的な幅広い見識から学ぶことがないともいえます。このあたりに文系学問もサイエンスの一つと捉える欧米との違いを痛切に感じる部分ですね。

 

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車購入の意思決定

 現代人にとって車は生活に欠かせないもののひとつとなっていますが、この車というのは大きな買い物ですよね。今は金利も安いしローンも簡単に組めるので、ちょっと欲張っていい車を買っちゃおうという人も多いと思います。

 ただ都会に生活する人にとっては、この車ってのは必要不可欠かといわれるとそうではないと思ったりします。おそらく、うちも営業するには必要だった車も、今後は必要性がほとんどないので持たないことになるでしょう。

 そこで、車を持つことによって発生する費用を考えてみたいと思います(数値は我が家の場合を概算として使用します)

 1年当たりの諸経費
 駐車場代@15000*12=180000円
 税金             =約40000円
 保険             =約40000円
 車検、12ヶ月点検費   =約50000円(2年で車検、12ヵ月ごとに点検するのでこれを加重平均したもの)
 その他ランニングコスト  +α    
 計              約310000円+α
 となります。約30万は車を使う使わないにかかわらず発生することになります。車を10年間維持するだけで、300万は最低限必要になります。車の購入費やガソリンや消耗品の交換等を考えると相当な金額になります。

 25歳から65歳まで車を所有したとすると、我が家の例では@30万*40年=1200万維持するために必要となります。これに車の購入費、そのための借り入れ利子、ランニングコストを考えると、倍以上はかかるでしょう。
 
 こう考えると結構大きな金額が動くことになります。田舎で交通の便の悪いところで生活する際に車は必要不可欠だと思いますが、交通の便の発達した首都圏で生活するには、必ずしも必要とはいえないでしょう。

 ここからは私の妄想ですが、例えば40年間車を所有するコストを約2000万(おそらく実際は3000万以上かかるでしょう。)とする一方、25歳から年利5%でその分の費用を運用したとすると、

 (50万*1.05%40乗+50万*1.05%39乗……)=約6350万

 人生において車を持つ持たないの意思決定の差だけでも、これだけの違いがでてくるのです。車を買うという判断は意外に簡単に決めてしまいますが、それだけでこんなに大きな差がでたりします。かなりいい家買えちゃいますね。

 現実的には、5%で運用することは誰でも可能というわけではないし、家に車が置ければ維持費の半分くらいは削減できるので、ここまで大きな差がでるとはいえませんけどね。

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届きました

1883272335.01.LZZZZZZZ 最近、アマゾンをよく利用をしている。読んだ本の中から、何度も読むべき、読みたい本、手に入りにくい本は買うようにしている。何気にここ1ヶ月で10冊ほど買ってしまった。

 試しに買ってみたところ、ブッ○○フより安いものが多いし、欲しいものが決まっている場合探す手間が省ける。かつ、家まで届けてもらえるので、かなり重宝している。

 既にいくつか別のところから注文してみたが、これといったトラブルはない。まぁ、一番納得できないのは、アマゾン本社だけどね(爆)。注文した本はなかなか届かないし、どうなったかというメールを送っても返事はこないし。中古を扱っている本屋さんの方がきちんとしているわ。

 写真の本ははじめて、米国から直輸入(笑)した本。最近つくづく思うのだが、本当に読みたい、必要な知識を得るために英語は必死ですね。話せる必要はないとは思うけど、読めないと話しにならん。この本も当然翻訳されていません。

 特に、金融や政治といった日本が未だ”部族”レベルにある分野ではその傾向は顕著かと思われます。この本の著者David L.Caplanはオプションの第一人者。理論ではなく、実践者なので説得力があります。なぜ、この人の本はどれもサイズが大きく、かつ高いのかは謎です。

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長岡ナターシャ先生

 今日、朝早く起きてぼんやりと教育テレビを観ていたら、”NHKのドイツ語講座”が放送されていた。講師の長岡ナターシャ先生に一目ぼれ。ってか、眼鏡似合いすぎ(笑)マジあんな教師いたら、毎回褒められるようにがんばっちゃうねー(笑)でも、たまにはしかられるのもいいかも(爆)
いやー久しぶりにヒットですよ。モロタイプです。っつか俺はハーフが好みなのか?

 写真より映像の方が彼女のよさがでているように思いました。

 どうやら四月からの講座にも出演するらしい。いよいよドイツ語デビューか。まぁ、小さい頃熱中していたディスカスの欧州での本場はドイツだし、ヘーゲルやカント、ニーチェを生んだ国だし、日本語で読むよりドイツ語の方がわかりやすいんじゃないかという期待もあるし(読めるまでいかないと思うが…汗)、ちとかじってみようかと思ってみたりしている。まぁ、俺も熱しやすく冷めやすいからなぁ。

 それにしても、一部眼鏡フェチの間では絶大なる人気があるような予感。ちょっとググッてみただけだけど…。

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無駄と効率性

 相反するこのふたつの言葉ですが、両方とも好きな言葉であり、自分の考え方の根底にあるのではと思う言葉なのです。

 人間の生活の大部分は無駄ばかりだと思います。その無駄なことが時に生活を豊かにする発見を大なり小なり生み出すわけです。
 一方、効率性ってのも気になる。常日頃行なうことはどうしても無駄を省き効率的にしたい。この相反するふたつの考え方を誰でも持っていると思います。

 人生の無駄な部分は人によってそれぞれだと思うので、効率性について。まぁ、これは仕事などに関して言われることが多いはず。後はエネルギーかな。

 最近、できるだけ無駄なもののでない家なんてものをよく想像するんですよね(爆)。自然エネルギー(太陽電池や風力発電)で電気を起し、生ゴミからメタンガスを作り、水耕栽培で無農薬の野菜を作りる、そんな家ができたらいいなぁなんて…(笑)

 世の中の常識では、資源エネルギーの埋蔵量は少ないとされていますが、その辺り実は心配する必要はないと思っていい(少なくとも私たちが生きている間は問題にはならないだろう)
 IT技術の発展により、これまで見つからなかった油田が多数見つかっていた。しかし、コスト高がネックでその実現性が乏しかったが、昨今の原油高でコスト高が負担にならなくなりつつある。

 メタンハイドレードという海底に凍っているメタンガスは日本の領海域に多数眠っており、メタンハイドレードの埋蔵量は現存のメタンの約2.5倍だという。現存とメタンハイドレードをあわせると100年分の世界消費(現在の水準のままなら)を維持できるという。

 ただ、先ほどの私の妄想を実現させるためには、燃料電池(正確には水素発電機)とカーボンナノチューブの普及が欠かせない。
 今のエネルギーの消費は非効率極まりない。まぁ良くて発電所から半分くらいだ。それを電気として使うとなると最初の発熱量の10%程度しか使われないそうだ。

 だから、部屋を暖めるにはエアコンより石油ストーブの方が実は10倍効率的だといえ、地球に優しいのだ。本気で温暖化や異常気象を憂うならこういったことからはじめないといけない。

 つまり、エネルギー消費という側面においては、まだまだ効率的に無駄を省く余地が大きいといえ、改善が期待できる。その一番手が燃料電池(水素発電機)であり、この水素を安全に貯蔵するカーボンナノチューブという素材である。

 この燃料電池は簡単にいえば熱量と電気の両方を使えるので、80%近い発電量が使えるのだ。すると、排熱量は半分になり、資源の消費量が半分になり、その結果資源コストも半分になる。生ゴミなどから発生するメタンガスをさらに効率的に発生させることができるようになれば、さらに資源コストは減る。

 こういった科学の発展が私たちの生活を豊かにしている事実を我々はあまり気づいていない。資本主義の発展が自然環境の破壊を促すことを強調する論調が目立つが、私たちの生活をさらに向上させ環境の破壊を食い止めるのは科学技術の発展しかありえない。

 なぜなら私たちは今享受している豊かさを放棄することはできないからだ。だから、この豊かさをできるだけ効率的に生み出す仕組みを人間の知によって生み出さなければならない。

 私の妄想する効率的な家が実現するようなときが早く来ないかなぁと思う今日この頃である。 
 

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現代における性的タブーについての僅かな考察

 ハジメマシタのうめさんにトラバをもらって、いつから人間は性を生殖目的ではなく、愉しむようになったのかを考えていたら、性的タブーに行き着いた。そこで少し真面目に考えてみた。

 長くなってしまったので、今年初の”好奇心は止まらない”現代における性的タブーについての僅かな考察に最近読んだ本の感想を踏まえて、まとめてみました。今後も気まぐれ的に”好奇心は止まらない”を書いていこうと思っております。

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最近興味のあること。

 なんだか忙しいw(つもり)。最近、当たりな本が多いので、読む時間と先日の歯痛や昨今の肥満の反省から、少し健康に気をつかってみようかと思っていたりしていて、しばし調べ物。
 とりあえずビタミンCと亜鉛から始めてみました(爆)。ちなみに、今年から始めたウォーキングの効果か、正月の最大値から4キロほど痩せたようです。

 意識的に食べる量を減らしたわけではないのですが、徐々に食べる量も減ってきているようです。といってもこの体重でも以前の最高値(笑)くらいなので、これからですね。いやー年を取ると痩せるのも大変。

 ダイエット効果がありアメリカで流行っているαリポ酸はどこの薬局行っても見つからんし…。ミトコンドリアに作用して余分な栄養を脂肪に変えないようにするらしいです(うろ覚え)

 それから「地政学(geopolitics)」に最近興味が沸いてきました。今の日本に一番欠けている視点かなぁと思って調べてみると意外に面白い(笑)
 この地政学の伝統に則って国家戦略を築いているのがアメリカですから…。

 北朝鮮が核をもっているといえばわいわいガヤガヤするのも、こういった視点に基づいた国家戦略を持たないからではないかなぁと切に思うのです。
 北朝鮮が2個の核兵器を持つことができるのなら、日本は100個作れるっちゅうねん。私たちはいつでも作れる(原料も技術もある)けど作らないんじゃーとなぜ叫ばないのでしょうかねぇ。
 
 まぁ、面白いトラバももらったし、書きたいこともあるんだけどね。

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商法の資本に対する胡散臭さ

 新株発行の主要目的論からニッポン放送の発行した新株予約権は違法だっていう意見が結構多い。私は理屈はわかるけど、イマイチというか全然納得できない。だって商法の資本に関する規定って実にいい加減なんだもの。

 株式会社の最低資本金を1000万以上にしたと思えば、1円でも可能にするからね。昔、最低資本金が引き上げられることによって、資金調達に四苦八苦した零細企業の人は今どんな気持ちだろう。

 最低資本金制度も05年度に改正されて廃止される見通しだし、株式分割の純資産制限もなくなったし、金庫株の解禁によって自己株の取得も無制限に認められるようになった。
 資本の充実を図ることによって債権者保護を謳った商法の大義名分はどこにいったのでしょうか?

 こうみてみると、商法の資本の規定ってものすごくいい加減です。特に最近はなんでもあり(株式分割は実質的に授権資本の範囲内で無制限にできるし、自己株の取得も総会決議を経れば無制限→企業が敵対的買収を防止するための取得もありえる)ですから。

 そう考えると、今回のニッポン放送による新株予約権の発行は資金調達の主目的論から違反だとする意見は説得力ないなぁと感じるのは私だけでしょうか。

 たまたま今回、ライブドアはMSCBによって資金調達しましたが、MSCBは新株予約権の何倍も既存株主にとって不利となる場合もありえる。
 MSCBはあくまで資金調達の一手段ですが、時として他の資金調達法が取れない(つまり、この方法以外資金調達できない)場合にも、取締役会の決定で発行を許容し、さらに、転換価額の修正によって既存株主に大きな影響(=株価の大幅下落)を与えることになる。
 MSCBは結果的に転換されれば、特定の第三者に新株を(転換価額に応じた株数)引き受けさせることにもなる。

 一方、ニッポン放送は新株予約権によって資金を調達することになった。ただ新株予約権が既存株主に大きな被害を与えるのかというのは甚だ疑問。
 そもそもMSCBと異なり新株予約権は実際に資金の払い込みが行なわれ、実際に資本となり既存株主にとって資本が充実する。(要は新株を引き受けてもいいという人がいるということ)

 議決権比率の低下という副作用は認めざる得ないが、投資家が本来求める株主価値、企業価値は新株引受権によって毀損することは通常ありえない(時価発行、もしくはそれに近い価格で増資されるため)。
 投資尺度として重視される項目、例えばPERやROEなどの指標は低下するものの、PBRや自己資本比率といった財務内容は増資後は健全になるため、一概に既存株主の経済的利益が損なわれるとは言いがたい。
 またMSCBも、株式に転換されれば既存株主の議決権の比率の低下は免れない。

 つまり、新株予約権という株式購入の権利の予約ならば主要目的論を適用し、潜在的には株式の性格を持つ社債で、既存株主に株価及び株主の主要構成が変動するリスクを負わせるMSCBだと主要目的論は全く問題にならないというのは法の整合性に欠けるのではないかと個人的には思う。

 新株予約権は引き受ける人がいてはじめて成り立つ方法に対し(投下資本の回収は株式の売却による)、MSCBはMSCBでしか応じない人というのはありえるし、今は利息が0の場合も多い(つまり実質的には株に転換されることが前提ということ)

 実際に資金が払い込まれる新株予約権の目的が資金調達ではないと違法で、転換がほぼ前提だが転換されるまでは払い込み資本とはならず、企業を生かしておくためのモルヒネ的な資金調達であるMSCBは問題にならないというのはいかにもバランスが悪いといえないだろうか。(ただし全てのMSCBがモルヒネ的な資金調達だとは言わない)
 
 MSCBが必ずしも悪い作用だけをもたらすわけではないが、株価の変動リスクを既存株主に負わせ、場合によっては既存株主の価値を毀損し、議決権比率も低下させる。一方、新株予約権だと、既存株主の議決権比率は低下するものの株主価値は払い込みによって担保される。

 それでも新株予約権は資金調達のためだけに限定されるのかなぁ。うーん、どうもしっくりこないんだが…。

 要は、上記で述べたように資本についてのいい加減さが露呈した現在の商法において、主要目的論という視点のみで、新株予約権の発行は違法と言い切るのは些か無理があるように私は思うのだ。
 
 このあたりの最近の商法の資本に対する胡散臭さが気になって主要目的論をすんなり受け入れられないんだよねー。

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たまにはお勉強

 いやーフジVSライブドアのおかげで商法が話題になっておりますね。2chでも結構話題になってはいるようですが、アンチフジ派が多いですなぁ。
 ホリエモン応援派というよりは、フジのやり方は明らかに商法違法だという言いがかりの下、既存のメディアに対する嫌悪感の方が強いという印象ですね。
 あまり有益な議論がなされていなかったので、少し商法を掻い摘んで勉強しましょう(笑)

 2chで拾ったのですが、某資格予備校T○Cの商法の阿○先生(懐かしいぃー)のレジメによると、今回のような新株発行は合法で、公開企業がこれに対応する法律はないとのこと(ちなみに、私はこの先生のモノマネが得意である;爆)

 さて今回のフジのスキームについては、結構練られているように思います。今回のような敵対的買収に対して増資で対抗するということには当然、経営者の自己保身のためだろうとか、株主の利益を損なうという文句がつけられることになる。

 その際、増資が合法か違法かの判断基準になるのは、ユノカル基準というものらしい。この基準をかいつまむと①会社にとって脅威が存在すること②そして、その防御策が脅威を排除するためであることが条件らしい。

 要は、本来新株発行は資金調達が目的なんだけど、敵対的買収には経営陣として対応するのは当然の義務と責任であって、その対策として基準を満たせば、言いがかりに対抗できるということですな。

 今回のフジのスキームから判断すると、新株予約権の発行で、脅威の存在を明らかにし、それが有利な発行価額ではないということを明確にしています。
 そして、今回は新株発行ではなく新株引受権を発行することで、ライブドアの出方次第で新株を実際に引き受ける(結果として増資に応じる)か、否かという留保事項としているところが味噌ですね。

 つまり、ライブドアがさらに市場でニッポン放送株を今後も買い続ければ、新株引受権を引き受けて実質的に51%超の株式を取得することになる。
 もし、ライブドアが観念してフジのTOBに応じれば、この新株引受権を引き受けないか、もしくは一旦引き受けた上で消却することも可能なのです。

 この留保条件をつけることで、上記②の条件(防衛策が脅威を排除するため)を満たすことになります。

 本来ならば、この新株予約権はライブドアの敵対的買収が明らかになった時点で発動されるべきであって、今更というのが議論の余地(フジの横暴だぁーという2chの意見)のあるところといえます。

 まぁ、ホリエモンを散々批判してきたけど、フジ側も脇が甘いといえば甘いよね。この辺りの意識が低いから当然株価もそれなりにしか評価されないのでしょうな。

 リーマン・ブラザーズがライブドアに融資しているから外資にけんかを売ったというような意見も多数散見され、今回ばかりは2chねらーの発言には疑問符をつけざる得ません。

 彼らはライブドアが勝っても、フジが勝ってもどちらに転んでも儲かるスキームなので、そのあたりは読みが甘い!天下のリーマンですよ。どっちが勝つかに賭けるのではなく、どっちに転んでも儲かる仕組みを提案するのです。金融の本家本元ロスチャイルド財閥を舐めてはいけません(爆)

 本来の金融とはリスクを分散した上で、利益の最大化を目的とすることであって、日本人(2chねらー)の考えるような発想は丁半博打と変わらず、金融に対する知識の乏しい人の発想ですね(まぁ私も詳しいわけではありませんが…汗)
 
 ホリエモンも既存のマスコミなんて手に入れないでライブドア放送でもやりゃーいいのに…。まぁ要はコンテンツが欲しかったんだろうね。

 それにしても、ライブドアの株主には代表訴訟(商法267条)をしようと話はでてこないらしい(笑)これだけの信者を作った功績は特筆すべきものがありますな。 

 で、もし私がホリエモンの立場だったら、買い増すなんてことはやめてとっとと白旗をあげますね。これ以上買い進むのは正気の沙汰といえません。

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日本の片隅で基本的人権とは何かを考える

 昨今、人権や報道の自由、それに伴う権利や義務ということについて議論されることが多くなったが、一つ確認しておかなければならない重要なことがある。

 それは日本人が理解している「法」を巡る思想である。言葉にすると難しいが、要は、人権とはなにか平等とはなにか云々の話である。大部分の日本人はこのような言葉の意味を曲解していることを理解していない。
 人権や平等、権利や義務という言葉は、これらの言葉をどのように定義するかでさえ世界的には大きな論争を繰り広げているというのに…。
 だから、このような抽象的な言葉に基づいて議論する際、立場がははっきりしなくなるのだ。

 ここでは敢えて長くなるが、その思想対立を紹介したい。

 以下の文章は副島隆彦氏の世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち~第4章「法」をめぐる思想闘争と政治対立の構図を私なりにまとめ、少し加筆したものであることをはじめにお断りしておく。(以下引用部は通常の白い文字を、私が加筆し意見にしたものは青い文字で示すことにする)

①自然法(ナチュラル・ロー)
 
 アリストテレスに遡る大思想で、「人間社会には、それを成立させて、社会を社会、人間を人間とたらしめている自然のきまり、おきてがある。」というところから始まり、この自然法は必ずあるのだと、西欧政治思想の中ではずっと考えられてきた。
 
 さらに中世では「自然法を定めるのは、やはり神である」とトマス・アクィナスが説明し直した。
 
 その後、エドマンド・バークがこの流れを受け、「この世に在るもの、在るがままにあるもの、それらを全てを認める。」と主張した。

 詳しく言えば、この世の中の秩序を成り立たせているものを「永遠の相の下における」「自然秩序そのもの」とし認めるということであり、これらは決して目に見えず、人間という愚かな生き物の、その人智を超えて、永遠のものであり、捉え難いものであるとする。

 彼はその著書「フランス革命の省察」において、フランス革命を激しく非難した。それは人間の自由の解放でもなんでもなく、ただの民衆暴動であり、国王や貴族たちを大量に断頭台に送った巨大な秩序崩壊、文明破壊に過ぎないと断じたのである。


②自然権(ナチュラル・ライツ)

 自然権をはじめて主張したのはジョン・ロックで、彼も自然の掟を認めている。しかし、彼はそれよりも「自然権」(ナチュラル・ライツ)を「人間一人一人の個人に生まれながらの固有の権利として”天”あるいは”神の摂理”から、ナチュラル・ライツを与えられているのであり、これは何人も奪うことができない生得の諸権利である」としてこの「自然権」の方を「自然法」よりも重視した。

 ロックの思想はアメリカ独立宣言やフランス人権宣言、ひいては日本国憲法典や国際連合の「世界人権宣言」などを作りるに至っている。そして、このロックの「自然権」から始まった、「憲法が定める基本的人権」をまるで「自明の、実在の権利としての、国家に対する請求権だ」と考えるに至り、現在世界の多くの人々がこの考えを持っている。

 しかし、ロックのいう「自然権」においては憲法典は「生命・身体・及び財産所有の国家からの自由・独立・不可侵」だけを保障宣言しており、「憲法典は全ての人間の社会福祉まで保障している」とは一言も言っていない。

 日本国憲法第二十五条の「生存権、国の生存権保障義務」までロックの思想によると保障しているわけではない。このことこそが、ロックの思想と現代日本のリベラルな思想(ヒューマンライツ)が大きく異なり、民主主義の意味を曲解している所以である。

 この①ナチュラル・ローと②ナチュラル・ライツが西欧政治思想における一つの争点であり、我々が論ずる場合のリベラルな思想とは異なるということをまず認識しなければならない。

 さらに言えば、①ナチュラル・ロー②ナチュラル・ライツ③リベラルな思想(ヒューマンライツ)は全て①のナチュラル・ローという存在を認めるものの、③ヒューマンライツ、特に日本のリベラルな思想は戦後の人権尊重・平等思想と相まって②ナチュラルライツを拡大解釈し曲解していることを指摘しておく。

 ②ナチュラル・ライツの現実的官僚的保守派は彼らが握り締めている現実の政治権力を維持するために表立って否定しにくい人権という言葉を巧みに利用し、③ヒューマンライツをうまく取り込む。
 この結果、ばらまき福祉と各種援助と、その結果として税金を取れるだけ取ろうという役人根性丸出しの行動法則を行なう。これが利権大連合を形成するのである。
 だから、いつまでたっても、天下りは減らないし、税金が無駄に使われるシステムの変化が起きないのである。このような理解に乏しいため、全て国が悪い、官僚が悪いという議論に終始し、建設的で実効性のある改革案がでてこないのだということだけは明確に指摘しておきたい。

 日本では、①ナチュラル・ローという政治思想そのものが、ごく一部の政治学者だけに共有されてきた思想で、一般人にはほとんど知られないまま現在に至るだけでなく、この②ナチュラル・ライツと③ヒューマンライツが明確に区別・認識されていない。

 私たちの憲法が規定する基本的人権の内容そのものが、近代国家成立の過程で争われた法という概念の基本的枠組みと異なるものだという理解が乏しい。
 つまり、私たち日本人が持つ法律概念には①ナチュラル・ローという存在は意識されず、②ロックの主張する自然権すなわち、ナチュラル・ライツを拡大解釈した③リベラルな思想(ヒューマンライツ)として共有、曲解されているのである。
 この大いなる西欧の政治思想との格差を私たちは痛感、認識すべきではないだろうか。

 

 さらに詳しいアメリカの政治思想論争については”好奇心は止まらない”番外編・アメリカの法をめぐる政治思想をご覧ください。最初の部分は同じですが、後半異なります。

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新年の言葉

 毎年、新年には必ず思い出すようにしている思い出深い言葉がいくつかある。

 浪人していた時、「学ぶということは覚えることではない。」英語の予備校講師がいった言葉。
 その教師が担当していた科目はreading & reasoningというものだった。正直あれはカルチャーショックだった。最初の頃は、辞書をいくら引いても問いに答えるどころか、内容を理解することさえできなかった。たかが、1000ワード程度の英語の文章の全容さえつかめない。当然、問い自体にも答えられない。
 後々気づくのだが、文章をなんとなく理解しただけでは問いには答えられないようになっていた。頭に汗をかき英語を読んだはじめての体験だった(イメージ的には現代文の英語版である)

 そんな彼がいった言葉が「学ぶということは覚えることではない。」という言葉だった。

 次に思い出すのが、学生時代の先生の言葉。
 まずは、森川英太郎先生の「他人の気持ちを慮れ!」正直、授業の内容は覚えていない。しかし、毎時間必ずこの言葉を口にしていた。きっと、学生たちの傍若無人な行動に黙っていられなかったのだろう。
 授業の最初は、お説教だった。授業の内容(確か、創作過程論だったような気がするが…汗)は全く覚えていないが、この言葉だけは鮮烈に覚えている。そして、今でも時々この言葉を思い出す。

 次は江藤淳先生に質問しにいった時の言葉。英語のグループワークで村上春樹についてプレゼンをすることになった。そこで、文学好きなクラスメイトが江藤先生に聞きに春樹について聞きに行こうといった。
 自分的にはかなり恐るべき若気の至りだと今は思うが、江藤先生の部屋を尋ねて質問してみると、一言「そんなもの読まん」と仰った。

 今思えば、(当時流行っていたとはいえ)村上春樹なんて読むわけないよなぁと思うのだが、その辺りは若さだと思う今日この頃。江藤先生はすごく小さくて、時々帰りのバスで一緒になったりしたこともあったが、普段は優しいおじいさんだった。江藤先生も授業の最初はお説教が多かった印象がある。

 森川先生が保守的な思想をもっていたかどうかは定かではないが、江藤先生はガチガチの保守本流である。今痛切に感じるのは、こういった保守本流の人こそ心優しく、自分だけのことだけを考えているわけではないということだ。
 彼らの主張は時々行き過ぎることがあり危険だと思われることがあるが、そうではないと私は思う。自分が大切に思うものを守るために行き過ぎるに過ぎない。
 
 最後は、名もしらない電車で話しかけられたとある老人。なぜだが、たまたま話しかけられた。当時円高から円安に転じていた。東海道線にたまたま乗った私に優雅な老後の話を暇つぶしにしてきた。
 若いときは贅沢しないで貯金しなさい。そして、機転を利かせなさい(彼は円高の時に外貨預金をしたと言っていた)。そうすれば、笑って老後が過ごせる。そんなことを終始話していた。

 そのときは、小金持ちのジジィの接待をなんで俺がしなきゃいけないんだと思ったりもしたが、今思うと結構奥の深いことを私に示唆してくれていたように思う。向かい合いの席の電車にたまたま乗り、たまたま話しかけられただけで今では顔すら覚えていない。だけど、あの老人の言葉は今でも心に残っていたりする。

 

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方向性のススメ

 私が物事を考えるとき、予測するとき、現状を分析するとき一番大切にするのは、”方向性”です。ベクトルが正しい方向に向かっていればいずれ、目的に合致するような結論が得られるでしょうが、その方向性が逆だったとしたら、違う意見が形成されてしまい、時間と労力の無駄、百害あって一利なしとなってしまうからです。

 例えば、友人のR’s Barさんが、先日行なわれたドイツvs日本の結果から、日本といわゆる強豪国との差を感想して述べています。
 私は今のドイツのチームが強いとは思っていません。確かに、一発勝負の2002年のW杯では準優勝しましたが、今年行なわれたEuro2004では決勝Tにすら進出していないし、FIFAランクでは日本と変わりがありません(ちなみにFIFAランクが国際Aマッチの試合等々に左右されることは知っています)。

 今回の試合で明らかになったのは、サッカーの日本代表が弱いということではなく、レギュラー組みと控え組みの差が著しいということくらいでしょう。それでも点数こそ、3点取られましたが、その内容は崩されて失点したものではなく、ミスからの失点ばかりでした。私がドイツサポーターだったら不満極まりない試合と思ったことでしょう。
 
 ちなみに、今のZicoJAPANがトルシエ時代よりも弱いとも思いません。それはデータが示すように守備力と攻撃力が02年の時点よりも増していると思うからです。
 このデータが示すように、司令塔は中村俊輔の方が優れており、中田ヒデでは戦えないということは明らかでしょう。ヒデを代表に呼ぶなら司令塔としてチームに貢献することではなく、ボランチや右サイドとしてだと私は思います。
  
 さらに、一言付け加えるなら、ドイツがW杯で優勝することはもうないと思います。これは必然です。欧州はあらゆる意味で没落していく。その一番手が何を隠そうドイツです。そして、中東の国々のサッカーが脅威になることも必然です。ドイツは欧州で一足早く人口が減少し、高齢化社会が到来します。今、ドイツで行なわれている教育も、どうやら日本の”ゆとり教育”よりひどいもののようです。

 教育といえば、昨日あるテレビ番組で、今話題の一マス計算を考え出した、校長先生がでていました。そこで、校長先生は次のようなデータを指摘していました。
 子供たちの睡眠時間と学力には明白な因果関係があり、朝食をきちんと作る家庭と、そうでない家庭では学力の差がみられると。

 一マス計算ばかりがマスコミの話題をさらいますが、この校長先生の特筆すべき点はこのような分析を怠らず行なっているということでしょう。子供の学力を効果的に上げるためにはどうすればいいのかという現状認識をきちんと行なっているからこそ、一マス計算のような教育方針が生まれたのでしょう。

 なんだか言いたいことがわからなくなってしまいましたが、現状を分析し、改善を促すためには当然ですが”方向性”が大切だといいたかったのです。

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脱政府のススメ

 最近、よく思うことがあるのですが、なんでそんなに反政府の叫びを上げるのでしょうか。先ほども父親と話しましたが、結局政府やお役所の文句ばかりです。

 いや、確かに文句があるのはわかります。融通は利かないし、時間も変なところだけきっちりしているし、わけのわからん規制や規則ばかりだし…といったらキリがありません。
 勿論、こうした不満点の改善を求め続けることは大切です。

 しかし、これまでの現状を見る限り、劇的にこういったお役所仕事が改善されるとは思わないし、これまでの無駄な税金の使い方が暴露されることがあっても、人口が減って増税されることは避けられません。
 
 それなら、自分で改善できることを改善した方が自分次第でできるし、てっとり早いと私は思うのです。自分さえ動けばいいわけですから。今の日本なら、それこそ知りたいことの大部分はお金を払えば知れるし、払わなくてもある程度は学ぶことはできます。
 要は、自分や家族の生活を守るためには、政府や役所の文句をいっていても埒があかないんじゃないの?と私は思うのです。

 むしろ政府としては、反政府を煽ってタラタラ少しづつ改善まがいのことをしている現状の方がいいと思っているはずです。それこそ、国民が表立って文句をいわないようになり、黙々と自己防衛のためにその術を身につけはじめることの方がよほど脅威でしょう。
 

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陰謀論のススメ

 最近、私のバーチャル本棚を見てもらえばわかると思うが、歴史や政治モノが多い。勿論、ある目的と意図があって読んでいる。それは、世に蔓延るいわゆる”陰謀論”のどこまでが本当でどこまでが疑わしいのかということを探っているからだ。
 
 特に学歴や知的レベルが比較的高い人は陰謀論に訝しげな表情をする。それはそうだろう。真っ当な学問をしてきた人からみたら、そんなのナンセンスだと思いたいのは十分理解できる。そして、陰謀論はある程度までは真実なことが含まれているが、それ以降??という結論にもっていく。だから、みな信用しない。

 実は私もつい最近まで、そう思っていた。それはどこに誰が書いてあるんだ?誰がいったの?という科学者調のよくありがちな疑問。
サイエンスならそれで通用するが、現実の問題をそれで片付けてしまうことは危険なことに気付いた。
 現実社会の問題が複雑で理屈でまかり通らないことは誰もが気付いているはずだ。この前も書いたが、ヘンリーフォードの「歴史はでたらめだ」という言葉がいつも心に引っかかる。我々が知っていることのどれだけが事実なのだろうか。

 日本人はこういった”陰謀論”を忌避しがちである。今、私がここまで述べても疑問に感じている人はきっと多いだろう。それはなんとなく理解できる。単一民族であまり差別意識をもってきた国民ではないし、実質的に他の国に支配されたこともない。だから、日本人は人を疑うということを嫌う傾向がある。

 陰謀論を疑う人にきいてみたい。東京裁判は正当な裁判が行なわれたと本当に思うのか?東京裁判こそ、陰謀そのものではないのか。史料や資料を至極大事にする人たちでさえ、正当な裁判が行なわれたと思う人はあまりいないはずだ。しかし、資料だけをみていたら、あの裁判は至極公平な裁判ということになりかねない。
 そこが落とし穴である。大事なことは記録に残さない。この重大な真実を私たちはないがしろにしている。

 勿論、無意味に陰謀論を唱えるつもりもない。私が重視するのは、権力と金である。金のないところに権力は集まらないし、権力のあるところには金が集まる。これは必然であり事実だ。
 こういった視点で物事を捉え議論する人は一体どれだけいるのか。私たちは金持ちではないから、権力にも無関係だ。そして、そんな私たちは権力や金とは無関係に正義や平和という視点で物事を考えるから、問題の本質が見えてこないといえないか。
 このような視点から得られるのは、当然、それらしき推論に過ぎない。しかし、私たちが実際に目にし、耳にする情報も大して差がないのといえないか。また私は、フォードの言葉を思い出す。「歴史はでたらめだ」
 

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理系のススメ

 これは自戒の念が強いのですが、文系なんて全然駄目、話にならんと最近強く思うようになりました。
 ヘンリーフォードの「歴史はでたらめだ」という言葉を借りるまでもなく、一体自分は何を学んできたんだろうと感じざるえません。
 要は文系には答えがなく、自分の持つ考えを主張するに過ぎません。しかも、日本にこれといった宗教がない。だから、自分も含めて主義主張がない人が多い。

 それに比べて理系はうらやましい。なにしろ世界と対等に語り合えるから。そこが決定的な文系と理系の差です。日本の政治家が外交が下手なのも、日本人が平和ボケといわれるのも、思考回路が日本の中で通用するレベルで止まっているからでしょう。 

 別に、自分の主義主張に白黒をつけなければいけないといっているわけではありません。自分の意見を持ちつつも現実と物事をすり合わせるという概念そのものが日本にはない。だから、いろんなことがどっちでもいいんじゃない?という話になってしまう。

 先日も日米の流行語大賞の差に少し文化的レベルの差を感じましたが、それは映画にも感じる。日本の映画自体悪いとは思いませんが、入念に練り込まれたメッセージ性を感じたことはない。
 ハリウッドの作品には、このような手法が綿密に組み入れられているが、それを私たちは教養がないので理解できない。

 あー悲しきかな日本人。表面上のコミュニケーションはできても、その意味は理解できない。私は外国語なんぞ、とうに諦めましたが、そんな私と外国語が話せないことを慰めあいましょう(笑)
 ”好奇心は止まらない”Article18.英語なんて話せなくてよいに、先日2ちゃんねるに書き込みをして逮捕された学生の一文から考えてみました。
 なぜ、I wanna have a beef.とはいってもI wanna have an ox(or a cow).といわないのか。英語に自信のある人答えてください。
 

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常識を覆すススメ

 引き続き、銘柄選択を進めています。まぁ、大体このあたりがいいなぁという目星はついたので、あとはその企業が抱えるリスクがどこにあるのかという点の把握が重要な課題となります。

 やはり、今後の高齢化社会を考えるとどうしても、介護関連の企業は成長分野として投資家の視点では期待してしまいます。
 おそらくそう思っている人は多いと思います。

 私も第1段階ではいくつか残しましたが、第2段階でセクターとして投資先候補から全て外しました。
 理由は簡単。介護関連事業、特に実際に介護に携わるディケア部門は、このままだと永遠に儲かる事業にはならないからです。
 思い浮かんだのが、昨今のこういった企業の業績の下方修正ですが、実は同様のことが4年前にも起きた。その理由を探ってみると、様々な要因があった。その中に、介護保険料の見直しが来年なされることの不透明要因さも株価が下落している一因だということがわかった。

 そして、そのことからカラクリが解けた。ディケアサービスは労働集約型である。だから、市場の拡大のメリット、つまり固定費の低下が他の業種より期待できない。
 ただでさえ、規模の拡大が収益性の向上に結びつきにくいのに、料金改訂の見直しの度、政府は企業努力で上げた利益を”搾取”する。間違いなくする。介護事業で不当な利益を上げることなど国も国民も許すはずがないのだ。(たとえ、それが企業努力によってなされた正当な利益でも…)
 つまり、利益を上げれば次回は料金が値下げされ、利益が上がらなくなれば料金は現状維持となるだろう。

 今の政府の財政にゆとりがあれば、こういった企業に恩恵を与えることもできようが、そんなことは今の状態では到底無理である。
 結局、ディケアを中心とした介護関連企業は料金改定の度に、その企業努力を国が”搾取する”結果となるに違いない。
 
 このような関与を国がしている限り、実際に介護という重労働をしている人の賃金は向上することはなく、国は何ら努力せず、搾取する最悪の形となってしまう。

 自分としてもこのような企業に投資したいと考えてはいたが、これではどう考えてもバカをみるのは介護を真剣に取り組もうとする企業であり、介護する人たちである。そしてリスクに見合ったリターンが投資家には戻ってこない。

 介護という複雑な問題をこういった側面だけで捉えることには問題があるだろう。
 しかし、少なくとも現状のままだと、なにもしない”国”が一番得をすることになる。今の福祉政策には大きな問題が存在するということを改めて認識させられた。

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回答のススメ

 回答ありがとうございました。コングBAさんとうめさんには回答を促すような形となってしまいすいませんでした。この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

 早速、質問に対する意図を書きたいと思います。
 Q1は間接的、Q2は直接的に女性が性犯罪にかかわったケース。Q3は今の女性が持つ価値観の年代間のギャップ、Q4は中絶という行為に対する意識を聞いてみたかったということになります。
 
 うめさんのご指摘どおり平等主義(ジェンダーフリーという言葉はそれらしき団体が作った造語のようなのでここでは敢えてこの言葉は使いません)について意見を聞いて見たかったのです。回答を頂いたお二人の意見は自分とほぼ同じものだったので内心ホッとしました。

 Q1については、裁判である被告が”女性スタッフは組織的な輪姦行為について認識していた”と証言しています。同じ女性として憎むべきこのような性犯罪に対して、その罪に加担した女性もいるという事実はなかなか報道されません。
 スーフリ事件についての詳しいことについては、グーグルヤフー、の検索結果またはまとめサイトでご覧になってみてください。

 Q2については、女性の社会的地位が向上するにつれて、これまでは男性が行なってきたような性的犯罪、セクハラ、ショッタコンや買春を女性が行なうことも増えるのではないかと思ったので、そのことについて質問してみました。

 このように、性犯罪に女性が直接的、間接的に加担するケースが増えているように私は思います。ただ、こういった報道は表立ってマスコミは取り扱わない傾向があります。
 平等主義の立場にたつならば、こういった問題も平等に扱われるべきだと思います。報道のみならず、法的にも不備な点があります。例えば、現状では女性が男性をレイプした場合に強姦罪が適用されるわけではありません(適用しようという動きがあるようですが…)

 こういった性犯罪の問題をみただけでも、私は性差や偏見による”逆差別”が存在すると思っています。本来の平等思想は取り扱いについても平等であるべきなのに、今まで弱い立場だった者が犯した罪は軽視され、これまで強い立場だった者が犯す罪は重視される。
 それは、性問題に限った話ではないと思います(ここでは話がそれるので言及しません)

 Q3は、今の若い女性の理想とする価値観が「マリーマイラブ」や「SEX ON THE CITY」といったドラマに現れているのではないかと思って質問してみました。

 キャリアやファッション、セックスとお金が彼女たちにとって一番大切なもので、子供を持つことや家庭を築くことは負担や自由の制限以外のなにものでもないと思っている。そんな女性こそができる女性、憧れる女性の象徴(コングBAさん、憧れる必要なんてありません!)のようにこれらのドラマでは描かれているように思います(これは私の勝手な思い込みですが…)

 そんな彼女たちが思いもよらない妊娠をした場合、中絶を選択することは容易に想像できます。現在の日本では母体保護法によって、やむをえない場合(母体や経済的に問題がある場合や性犯罪によって妊娠した場合)中絶が女性の権利の一つとして認められています。

 しかし、私は人工中絶という行為は性犯罪による意図しない場合以外、殺人だと思っています。私は経済的云々についても同意できません。幸せかどうかは親が決めるものではなく、生まれてくるであろう本人が判断することだからです。少なくとも、現在の日本という国に生まれる限り、私は幸せだと思います。

 妊娠から中絶という行為に至る過程では、非常に勝手な親の価値観のみが重視されます。このまま普段どおりに時が経過すれば一人の人間が誕生するにもかかわらず、育てる側の勝手な価値観の押し付けで何事もなかったかのごとく扱われる。
 日本は法治国家ですから、法律でこのような権利が認められている以上、罪に問われることはないありません。しかし、本来ならレイプと同様卑劣で背信的な行為であるという認識をもつべきだと思います。

 私は、このような性犯罪の増加と性差の解消を謳って法的な権利ばかり主張してきた考え方との間に関連性があるように思えて仕方がありません。 
 決して解消されることのない性差の重大さを軽視し、社会で男性と女性が同じような待遇で扱われることのみを重視してきた。
 その結果、女性らしさを否定し、女性に対する啓蒙の方向性を誤り、女性が家庭や家族を大切に思わなくなった。

 うめさんが指摘されたように、レイプという犯罪も、中絶という行為も自己意識(モラルや倫理観)の問題だと私も思います。しかし、いままでなされてきた女性の権利の強化には”逆差別”の例をみてもわかるとおり、そういった視点が著しく欠如している。
 このことが急激な性犯罪の増加(正確には強姦ではなく、強制わいせつ)と密接な関係があると思います。

 次回はもう少し突っ込んでこのことを考えてみたいと思います。

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右か左か

 最近、乱読気味の私でありますが、なんだか頭の中がよくわからなくなって参りました(笑)まぁ、このブログを書くようになってそれなりに自分の主張をするわけですが、その根幹となる考えが右を向いているのか、それとも左を向いているのかと正直わからなくなってきました。
 厳密に言えば、こだわる必要なんて全くないのですが、どっちつかずのような気もするんですよね。

 ナショナリズムが高揚しすぎると人の意見を聞く寛容さがなくなり、挙句の果てには自国批判する人は売国奴扱いされるしなぁ(例、今のアメリカや韓国etc)。いろいろと制限が厳しそうで変態な私には暮らしにくそうだし(笑)。

 リベラルな思想は一見聞こえはいいけど、個性を奪い、曖昧な言葉を盾に奔放さを身にまとっているだけの無責任さが売りだしね。それはそれでいらんはという感じだ(笑)

 まぁ、斜め右45度くらいを向いているのが一番バランスいいんだろうけど。ちょっとよくわからんわ。

 

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