『若者を見殺しにする国』を読む
一時期「『丸山眞男』をひっぱたきたいー31歳、フリーター。希望は戦争。」で話題になった著者の主張をさらに練り上げたものだ。
彼の主張は、端的に言えば『仕事をくれ』『金をくれ』ということになる。ただ、この主張の背後には、このままでは首をつらざるえないという悲痛な叫びがある。
確かに、彼の言い分、特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい」で彼を批判したいわゆる知識人(全くといっていいほど知識人でないのだが)に比べれば、説得力のあるものだ。
たまたま就職氷河期時代に就職する年代になってしまったがために、ろくな職につけず、『自己責任』という言葉だけで片付けられてしまう、現状なんて平和でもなんでもない。
真綿のようにじわじわと人を殺すことを厭わない現状のどこが平和で幸せなのか。冗談じゃないという。
だから、いずれ100%自殺せざるえないのだから、戦争を起こして戦死したほうがマシだというのだ。
彼の主張に、いわゆる知識人は答えることができない。屁理屈をこねるだけだ。
この悲痛な叫びに、左派は回答できないのだ。その欺瞞に満ちた主張を彼は見逃さない。
結局、どんな社会でも安定という名の平和の影には、既得権益者とそこで”徹底的に”搾取されるものがいる。現状では、非正規雇用者やフリーターと呼ばれる人がその最たる人たちで、彼らの叫びを彼が代弁しているのだ。
そして、彼の主張の根幹は(もしかしたら本人は気づいていないかもしれないが…)、現在の価値観形成に対する疑念だ。言葉を変えれば、偏見。
その価値観の中に自分を位置づけてしまっているという点において、無理があるような気がするのだが、だからといって、異なった新しい価値観で生きていこうという主張はみられない。
たとえば、私なら引きこもり結構じゃないか、なんて思ってしまう。
中世の貴族並みの暮らしだ。
快適な空間の中で一生暮らせるなら、これ以上のことはないと思ってしまう。
中世の貴族のように、外界が危険だから外に出られないわけではない。
情報はいくらでも入手することができる。人とコミニュケーションを取ることも可能だ。
食べ物にも苦労しないし、中世より衛生環境も断然ましだ。
交通網も発達しているから、別に車がなくたって簡単に長距離を移動できる。
普段意識していないだろうが、今の生活は中世の王族それ以上だ。
『金沢城のヒキガエル』や池田清彦が主張するように、食べれる分だけ稼いで、後は酒でも飲んで寝て暮らす、そんな価値観で生きてもいいんじゃないかなぁと思う。
日本は十分そういうレベルの生活ができる水準だと私は思うのですが。贅沢は言わないという限定つきですが。
ただ現実的に考えてみると、ごく恵まれた一部の人たちだけが、社会階層のトップに位置する一方、他の大多数はその可能性は宝くじにあたる程度のほんの僅かな可能性しかない。
それは、大企業の正社員とフリーターの垣根にも通ずるものがあって、最初から大企業の正社員になるということを放棄してしまうというのも考え方の一つではないか。
フランスのようにごく限られた一部のエリートは働きづめ、エリートになる可能性のない庶民は、そんなエリートを監視したり、バカンスや愛を囁くために働く。
そういった価値観というのは今の日本にはないといっても過言ではない。
それもありだと私は思うのだが。
いずれ首を吊るという覚悟なのなら、せめてそれまではフランス国民みたいに気楽に生きてもいいのではないか、と思うのは私が恵まれているということのなだろうか。
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